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道程の楽しみ方

 小説家を目指し、日夜思考中。その中で気づいたり、感じたり、些細な本音を語りたいと思います。興味のない方はご遠慮ください。   ※注意事項です。当ブログ内で、小説は公開していません。期待していらっしゃる方にはごめんなさい。

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Ⅳ 読書の弊害

 前回に引続き、創作に関することです。興味がない方は飛ばしてください。


 さて、普段からいっていることと食い違ってしまいますが、小説を読むことの弊害についてです。

 もちろん、私がいう読書とは、作家をしている方や作家を目指している方がする読書を指しています。一般的な読書の類ではありませんので、ご注意ください。


 語彙を増やす為、新しい表現を見つける為、ただ楽しむ為に小説を読んでいるときに起こる、チャンスの喪失に触れていきます。

 作家たちが新しい小説を読むと二通りの反応を示すことをご存知でしょうか。

 ひとつは新しい語彙や表現を目にし、自身ならどのような文章にするのか。このテーマに対して、この小説はこう結論しているけれども、自身ならどのような終りを向えるのか。

 まあ、こちらは考えていて楽しい事柄です。


 二つ目が問題なのです。この語彙、言葉、文章が(私が使っていたときより)効果的に使われている。同じテーマで書かれているのに、こちらの方が数段上をいっている。似た(ミステリーを書く方へ)トリックだ。

 そうです。チャンスの喪失です。


 自身の執筆中のものよりも前に発表されている作品が優れているときに起こること。それがチャンスの喪失になるのです。


 いったん、こうなってしまうと、私が書き上げなくてもいいのでは? そういった疑問に取り憑かれてしまいます。そうでなくても不安が毎日襲っている作家ですから、押し潰されそうになります。

 それでも立ち上がっている方々が、プロと呼ばれたりするのでしょう。ですが、私は素人の類。これでご飯を食べているわけではないのです。無理をして立ち上がらなくても、明日の生活費は別の仕事で稼いでいるのです。

 こんなときに立ち上がる方法は諦めることです。


 なにをどう諦めるかというと、先に出た方が勝ちだと割り切ることです。

 類似作品と呼ばれてしまおうが、先に出たほうが真似される立場なのですから、後になる私はなにをいわれても我慢するのです。

 そうなることがわかっていても、私には私の味があるはずだと鼓舞し、書き上げるのです。そうしなければ、私が作家と呼ばれる日が来ないことが明確なのですから。


 チャンスの喪失よりも、新たな発見を心がけて読むのです。

 今私がサスペンスを書いているのなら、違うジャンルを読めばいいのです。そうすれば喪失する言葉が減っていきます。そういう努力も必要だということです。


 色々な理由で読んでいる本たちが、自身の成長に繋がるときもあれば自信を失くす手伝いをするときもある。この事実を知っていないと、一喜一憂するはめになります。


 惚れ惚れするような文章。遣いたくなる語彙。誰かに伝えたい言葉。私が考えているものよりも、ずっと上手く表現している人がいるという事実。目を覆いたくなり、本を破きたくなるほどのものですが、諦めてください。

 すでに発表されたのです。

 その結果、私のように一作品が没になった人もいるでしょう。それでも、そこに書かれた人物や環境、状況や感情はなくならないのです。こちらは別の作品で別の人物たちが表現しても差支えがない。そうなれば次の作品に生かしていけるのです。

 無駄な文章はありません。

 次に生かせなくても、その次、次の次の次に生かせるかも知れないのです。なにがどう転ぶかわからないのが、創作なのですから。こうしてストック(貯金)してきたものが、後々の創作に影響していきます。

 書きかけの作品を持っていない作家はいない。そう聞きますし、そうであるべきだと思います。作家が一の物語を考えるときに、一だけを考えているわけではありません。

 それが二に繋がり、二から三へ行くのが自然だとしても、一から百に、百から五になる場合だってあるのです。それが作家の頭の中では当たり前のことですからね。

 この流れが一番いいと思えたものが残っているだけですから、それ以外の文章や構成などは作家の頭の中にしまってあり、いつかつかってやろうと思うのが自然です。無駄を嫌うのは作家の常ですからね。


 全てが小説のためにあると断言できるほどに、沢山の現実を作家の眼で見ています。それ故に、喪失も成長もあるわけです。

 語彙が豊富であればあるほど、平易な日本語をつかう。これは作家だけに通じるものではありません。偉人たちは皆が何かの専門家であり、それを達観しているからこそ、数少ない言葉を残しているのです。

 数え切れない知識と知恵の中から生れた言葉。それを咀嚼し、蓄え、新たな物語にするのが作家なのかも知れません。星振る数のテーマがあれど、語る言葉が似ているのなら、似てきます。それでもなお、新しさを求めていくのが作家なのでしょうか。

 量より質ともいいますし、質より量ともいいますから、なんともいい難い。弊害があれば、好機もある。そういうことでしょう。良い面ばかりを見ないで、悪い面も見る。投資家みたいな話ですね。投資家なら損して得取れといいますでしょう。


 言葉の専門家が辞書を作り、作家はそれを道具と呼びます。あくまでも物語を創ることが作家である。そういえるのではないのでしょうか。物語の研究家や評論家ではなく、生み出す側だという自覚と自信。それが作家だと思えるのです。


 新たな小説を読むときも、弊害と好機、興味と疑惑、矛盾を孕んだ作家の心を持ちながら読んで頂きたい。最高の贅沢をいわせて貰えれば〝普通の読者〟が一番いいんですけどね。


 色々なものを色々な角度から見、色々な事柄を色々な人物から観る。

 それが出来、それが文章になり、それが小説になっていければ、作家として胸を張れると思います。


「盗作? 似てただけだろ」


 そんな私になりたいです。


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